7.どうして思考が貴方で埋まるのですか
「神田さん、貴方また怪我したの?」
教団の医務室の一角。
医療班班長兼医師もやっている私の部屋。もとい診療室。
私の目の前には威風堂々といった風情でエクソシストの神田ユウが座っている。
「こんなとこ、来なくても。」
「アンタ、それは私達を侮辱してんの?」
治療を進めながら、ドスを聞かせて言う。
多分、神田は此処に来なくても治ると言おうとしたのだろう。
それは正直危険な面がある。
いくら彼が特殊な身体をしているとしても。
「別にアンタが私達のことをどう思おうがそれは自由さ。
アンタの言うとおり、私等にいくらでも代わりはいるからね。
だけど、私等がいないと回らないところもある、それだけは覚えてな。
はい、治療終了。
貴方のその再生力に手助けはしておいたわ。明日にでもふさがるわね。」
「世話になったな。」
「素直でよろしい。」
カルテを書く手を止めて、笑顔で応じる。
神田は団服と六幻をもって医務室から出て行った。
神田とは、彼の入団以来の付き合いだ。
早くに両親を亡くし、その両親が教団のサポーターだったこと、高名な貴族だったこと、
私、という存在が10歳だったということもあって、まだ非公表だったこと、
(古来からの風習で我が家は15歳になるまでは公表されないのだ。)
英才教育のおかげで、様々な知識を身に着けていたこと、
また、私の一族、家は長子が当主業を継ぐ。
それには理由があって、長子のみが代々伝わる力を受け継ぐからだ。
それが、治癒。
力の具合は、人それぞれだ。
亡くなる前の両親に聞いた話だが、私は強い方らしい。
とにかくいろんな要素が幸運をもたらし、教団の科学班と医療班でさらに知識を学び、
治癒の力の腕も買われて、結局医療班にそのまま就職し、神田の主治医兼世話係に任命された。
それが、15歳の時のこと。
あれから、9年。
彼がエクソシストとして腕を立てていくのも見てきたし、
私自身も様々な研究をする傍らで、そこそこの地位を築いた。
年月を経る度に募る想いはあれど。
夜の自室。
今日は夜勤当番ではないので、ゆっくり休むことができる。
夜勤当番ではない日も、週に2回くらいしかないのだが。
あてがわれた自室は、自ら手を加えて、飲み物くらいはいられるようにしてある。
そんな機能を利用して、紅茶を入れて、窓から外を見ながら、物想いにふける。
神田のこと。
好きだと気付いたのはいつだか忘れた。
でも、それを態度に出さずにしてきた。
やっぱり私は医師で、彼は患者だから。
「Schone Wiege meiner Leiden,
Schones Grabmal meiner Ruh',
Schone Stadt, wir mussen scheiden,
Lebe wohl! ruf' ich dir zu.
Lebe wohl, du heil'ge Schwelle,
Wo da wandelt Liebchen traut;
Lebe wohl! du heil'ge Stelle,
Wo ich sie zuerst geschaut.
Hatt' ich dich doch nie gesehen,
Schone Herzenskonigin!
Nimmer war' es dann geschehen,
Das ich jetzt so elend bin.
Nie wollt' ich dein Herze ruhren,
Liebe hab' ich nie erfleht;
Nur ein stilles Leben fuhren
Wollt' ich, wo dein Odem weht.
Doch du drangst mich selbst von hinnen,
Bittre Worte spricht dein Mund;
Wahnsinn wuhlt in meinen Sinnen,
Und mein Herz ist krank und wund.
Und die Glieder matt und trage
Schlepp' ich fort am Wanderstab,
Bis mein mudes Haupt ich lege
Ferne in ein kuhles Grab.」
アカペラで歌った。
シューマンの作った連作歌曲集の1つ。
苦しみの詩。苦難を示した歌。それがこれ。
曲名は確か、「Schone Wiege meiner Leiden」だった気がする。
聞いたのも今では随分昔のことだから、不確かな情報だ。
「さん!! 急患です!」
「すぐに行きます。」
掛けておいた白衣を羽織り、部屋を出る。
今日も穏やかな夜は迎えられそうにないらしい。
結局徹夜となった翌日。
平均睡眠時間が3時間をついに切った。
人間の限界への挑戦をしているような気がしてならない。
まぁ、エクソシストも、探索部隊も日々減りつつある戦況だ。
医療班という支援部隊に所属しているこの身。
それは仕方ないこと、と思いながら、濃いめに入れたブラックコーヒーを飲む。
そんな優雅な一時を味わっていたら、今度は室長に呼び出された。
全く私を殺す気かっ!!なんて少し憤慨したくなる。
さっさとコーヒーを飲みほして、室長室に向かう。
「くん。
悪いんだけど、昨日の夜、任務に行った神田くんが重傷らしいんだ。」
「了解です。すぐ行きます。 場所は?」
「エジプトのミト・ラヒーナ。」
「あぁ、メンフィスですね。 移動手段は?」
「ばっちり手配済み。頼んだよ。」
「行ってきます。」
一連の会話で分かるように、神田はまた怪我をしたらしい。
相変わらず無茶ばかりする男だ。
言っても聞きやしないんだから、私が折れるべきなのか。 なんて最近思うようになった。
その一方で諦めてはいけない、と根性を発揮する自分もいる訳だが、今のところ、根性ある自分が勝っているらしい、と自己分析。
それにしたって現在急務の問題はあの男だ。
医務室にすぐに戻って、詰められるだけの荷物を詰め、すぐに出立した。
座り心地の悪い列車の中、エジプトで重傷な神田のことに想いを馳せながら、ずっと溜まっていた疲労の為に眠りについてしまったようだ。
なにせ気づいたら乗り換えのフランスについていたのだから。
室長に派遣を言い渡されて1日半。
3度列車を乗り換え、辿りついたエジプトのミト・ラヒーナ村。
エジプト古王国の統一王朝の最初の都、メンフィス、と呼ばれていた所だ。
古代遺跡が多く残るために、イノセンス発見の可能性があったのだろう。
事実がどうなのかは知らないが、エクソシストが派遣されたところを見るに、高い可能性があったであろうことは否めない。
現地にいた探索部隊に案内され、辿りついた病院。
良く言っても、医療環境が整っているとは思えず、神田の処置も応急手当程度でしかなった。
当人の意識はないが。
持ってきた荷物のなかから、テントを広げ、できるだけ無菌状態にしてから、治療を始める。
「これは、どうやったら・・・。」
思わず言葉にしてしまったほどの裂傷。
治り始めているとはいえ、状態があまりに酷い。
私は女だが、医者でもあるので、涙なんか流している暇はなかった。
けれど、心が痛むのは確かだった。
心の中でさんざんこうなるまで無理をした神田を罵倒しながら、今もなお、人の悲劇を材料に楽しみながらAKUMAを作っているであろう千年伯爵を恨んだ。
診察した結果、内臓が数か所、傷ついているので、そこの縫合をして、折れた骨の内、複雑骨折の物は、元通りに並べ、治癒の力を当てた。
重傷箇所は一通り治療した後は、本人が目覚めるまで様子見とした。
しばらく神田本人はあのテントの中で入院みたいなものだし、私はいつ容体が悪くなってもいいように徹夜の日々だろう。
列車の中で寝ておいてよかった、と神田の腕に点滴の針を刺しながらつくづく思った。
それから、2日。
「・・、異常なし。」
愛用の万年筆でカルテを書く。
神田が目覚める気配はまだ見えないが、そのうち起きるだろう。
傷の状態を日に2回確認・手当をするが、ほとんどふさがってしまっている。
というわけで起きるのも時期だろう。
「・・・んっ。」
神田が身じろぎする。
これは起きるだろうなー、とか勝手なことを思いながら、机に広げたカルテや筆記用具、医術書をしまう。
「起きたの?」
声をかける。
「その声は、か。」
「そうだよ。アンタの主治医はこの私だからね。」
「そうか。」
「貴方が負傷した、と教団本部に連絡が入ってから3日半。
傷はほどんどふさがりかけてるけど、点滴は抜くなよ。 栄養剤だから。」
目線だけで、聞こうとしていることを読み取り、普段から傷さえ完治してしまえば、
自分の身体など見向きもしない神田だから、そんな言葉を言った。
見事に驚愕している彼の珍しい顔を此処に収めながら、言葉を重ねる。
「私をなめるなよ。」
ニッ、と笑ってやりながら、片付け終わった荷物を隅に寄せる。
「さっきも言ったように3日半。貴方が寝ていた時間よ。 リハビリは必要ないと思うわ。
毎日マッサージは欠かさなかったし、貴方の驚異的な回復力もあることだしね。
ただ、内臓の傷が不安な点だから、一度教団に戻るってことで室長とは話がついてる。
明日にでも動き出すから。これでオーケー?」
「悪いな。」
「そう思うなら、少しでも怪我をしないで帰ってくることね。
私はこれから、食料を貰いに行ってくるよ。」
ニヒルに微笑んでテントを出た。
神田にも考える時間は必要だろう。
何となくそう思ったから。
教団本部に連絡を繋いで、室長に報告し、明日のことで段取りをつけ、
病院のスタッフから2人分の食料を貰ってテントに戻る。
すると神田はもう起きあがっていた。
「早いこと・・・。」
流石の私でも茫然とした。
と言ってもいつまでもこうしてる訳にもいかないから、自分用に用意された布団などを彼の背において凭れさせる。
「ふー」
凭れさせた途端、肺の底から息を吐き出した神田は、相当我慢してたんじゃないか、と思う。
「全く、そこまで起きてるのがつらいなら寝てればいいのに。
そういうわけにもいかないんだろうけど。
でも、貴方だって体の構造は一般人を一緒なのよ?
ところで、これ食べる?」
食事を机において、指を指し、聞く。
「食う。」
「了解。」
神田が食べやすいように適度に食事を小分けにして、ひょいと渡す。
そして、私自身も自分の食事を食べ始めた。
私にしては珍しい配慮だ。
「明日は朝一の列車で此処を出る。
乗り継ぎがうまくいっても、教団期間は明後日の朝。
貴方が寝坊することはないだろうけど。」
淡々とした口調を心がけて、移動の説明をする。
大人しく聞いていた神田だが、ある一言を口にするを顔をしかめる。
「お前、その『貴方』って言うのやめねェのか?」
やっぱり指摘してきた。
そこまで嫌いか、この言葉が、と思わない訳じゃない。
でも、隠すためには仕方がない手段。 暴かれないようにするためにずっとやってきたこと。
意地でも変えることはできない。 それに私のプライドが許さないから。
「どの口がそんなこと言ってんの?
少なくとも私は医者で、貴方は患者だったはずだけど?」
「また言った。ってか、お前の中にあるその前提が気に喰わねェ。」
「仕方ない。もう10年以上、私は医者をやっているからさ。
どんな相手であろうが、患者であることに変わりはないよ。
教団本部の中にいても、私が医務室から出ることなんてめったにないから、必然的にそういう関係が成り立つし、
出たとしても、貴方が重傷を負った時か、アジア支部長の下に研修に行く時か、くらいなものだからね。
というか、だ。貴方、いきなりそんなこと言いだしてどうしたの?」
そういえば、こんな話をするとは思わなかった、と反省。
今のところ、言い繕えてはいるモノの、こんなところで暴かれたくもないなー、とか頭の隅で思う。
「・・・。」
あっ、黙った。なんでだろう。
うん、でも嫌な予感半分。残りの半分は分からないけど。
あぁ、でも、愛されるなら私がいいと、思ってしまうあたり私は醜い。
とりあえず、食べ進めながら、言葉を待ってみる。
「お前が、好きだ。」
なんとなく、分かってはいた。
ずっと見ていたから、ずっと思考を支配してきた人だから。
「こんな、時に、言うこと、じゃ、ないでしょ。」
言葉が単語区切りに近い。それよりひどいかもしれない。
涙が零れていくのは自覚していた。
「ああ。」
「心配掛けさせて、言っても言っても聞かないし、怪我してくるし、
自分のことなんかまるで省みないし、特殊な体してるから、その分寿命刻むのは早いから、
私の想いなんか枷になるだろうから、ずっと言わないことに決めてたのに、莫迦ぁ・・・。」
「すまない。でも、言わずにはいられなかったんだ。」
「こんな私が莫迦みたいだわ。ほんとに。
でも、ユウが望むなら、いくらでも世話してやるんだから。」
「頼む。」
「ホント、年上の威厳なんてありはしないわね。」
「なくていい。俺の前では。」
「何よそれ。」
「そのままだ。お前の感情とか考えとか、占める人間がいるなら、俺だけでいい。」
「莫迦。」
そう言って2人で笑った。
君に染まる。
御題:どうして思考が貴方で埋まるのですか