普段から不機嫌な彼の表情が、さらに拍車をかけて不機嫌なものになった。

理由は明白だ。
黒の教団の食堂で黙々と昼食を食べていた神田の側に来た彼女が何気ない風に「日本語教えてよ」と言ったからだった。


「………………」


無言のまま ぎろり、と睨む。
彼女は“こわい顔、”と楽しそうに呟いて笑った。
何も答えないままシシトウの天ぷらに箸をのばす神田の前に腰を下ろし、


「“Hello.”は?」


と、まるで悪気もなく尋ねる。
彼は心底迷惑そうに瞳を眇め、テーブルに頬杖をついて返事を待っているを改めて睨んだ。


「何だってんだ、一体」
「あ、ダメじゃん。日本語で何て言うのか聞いてるのに」


うんざりとした視線と声色で言われたにも関わらず、彼女はけろりとした顔で彼が日本語で応じなかったことを指摘した。
のその態度に閉口する神田を他所に「ねぇ、“Hello.”は日本語で何ていうの?」と、さらに言い募る。
くん、と身を乗り出してくる彼女の身体を避けるようにテーブルから身を引き、彼は眉間を顰めた。


「そんなもん聞いてどうすんだよ」


吐き捨てるように言ってから、ちょっと後悔した。
どうせならきっぱりとそんな不毛な会話はお断りだ、と言い渡して席を立てば良かった。
今の言い様では、まるで彼女の返答次第では日本語を教えることを考えなくもないようにも聞こえる。
そう感じたのはを同じだったようで、きゅ、と品良く口角を上げて微笑んでから


「神田のこと、もっと知りたいんだもん」


と、言った。
神田は鼻に皺を寄せて、さも迷惑そうな顔をした後で「くだらねぇ」とだけ告げて、食事を再開する。
全くもってくだらない上に、しょうもない。
さっき、返答次第では考えなくてはいけないかもしれないなどと、少しでも思ったことすら馬鹿らしい。


「ええー、何でぇ…」


ずず、と小さな音をたてて味噌汁をすする神田を恨みがましく見つめながら、は身を乗り出したまま再び頬杖をついた。
少しだけ顎を突き出して不満気な顔をする。
さっきの答えにもの凄い説得力があると思っていたわけではないが、何だかんだ言って彼が自分に甘いことを知っていたので、応じてもらえないのはちょっとショックだった。


「じゃあ、日本語の美しい響きが好きだから」
「………………………」
「気になって夜も眠れないから。神田の日本語聞きたいから」
「………………………」


思いつく限りの理由を羅列してみても、澄ました顔で山菜おこわを口に運ぶ神田には何処吹く風の様子だ。
唇を尖らせたまま、は一度溜息をついて 黙々と食事を続ける彼の右手を見つめた。
大抵の日本人が和食を食べる際にはそうするように、神田は箸を使って器用に白身魚の塩焼きをほぐしている。
自分には到底出来ない芸当だ、とは思う。
以前ジェリーさんに和食を作ってもらった際に挑戦してみたが、手首が吊りそうだった。
それに比べて、彼の箸使いは手慣れていて、無駄がない。
当然と言えば当然だけれど、礼儀正しく精密な動きをする彼の指は、長くて節目がきれいだ。
は無意識のうちに ほう、と小さく息を吐いた。

突き出ていた彼女の唇が元に戻ったのを ちらりと確認して、神田はほぐした白身を口に運び、咀嚼する。
彼に言わせてみれば、日本語を知ることが自分を知ることに直接繋がるとは思えなかった。
どうせだったら、日本食では何が好きなのか、そしてその好きな食べ物は日本語で何と言うのか、とか。そんな風に尋ねてくればいいのに。
“もっと知る”というのは、そんな事のような気がする。

ぼんやりと頬杖をついていたが、そこで ふと、静かな瞬きをした。


「あ、ねぇ。じゃあ“I love you.”は?」


彼女は箸をもった神田の指先を見つめたまま、まるで今 思いついたばかりと言わんばかりの何気ない風に尋ねた。
何気ない風に尋ねたあとで、それでもやっぱり口元が綻んだ。
成功はしなかったが最初に質問をした時からずっと、これは誘導尋問なのだ。
Helloの次はGood morningで 次はGood night.
最後にI love youを日本語で何て言うのか教えて貰う。

神田は咀嚼していたものを飲み下してから、きょとんとした顔をした。
それから、彼女の仕組んだ意図に気付いたのか、眉間と鼻面に皺を寄せた。


「………くだらねぇ、」


溜息交じりに言って、食事を再開する。
目の前の彼女は頬杖をついたまま、くすり、と楽しそうに笑った。






く だ ら な い は な し

( 20090907 | coma | write for 貴方に逢いたくて )