視界を閉ざしていた重い瞼を開けると、数え切れないほどの眩い星々の夜景が広がっていた。
幾千、幾億、もしくはそれ以上もの光。視界を占めるものは其れ以外には何も無く、星明かりの夜空は、漆黒など程遠い銀色のベール越しにある。
まさに、美しき夜、その言葉が当て嵌まるだろう。表現する言葉を知らないだけなのかも知れないのだが、ただ美しい星空の時は、美しき夜でしかなく。
背中に硬い地面を、気ままに投げ出し置かれた四肢には短くも柔らかい草、優しく吹き過ぎる風の匂いを嗅ぐ鼻孔には草を育てる土の匂い。
そして双眼には―――ただ美しき夜の帳が垂れ込めている。
木々のざわめきは風に流されて何処かへ消え、この世の醜さなど一つも存在しないかのよう。
他に何も要らない。
そう思ってしまう程、美しい光景、或いは空間だった。
「―――死んだのか?」
近くまで歩み寄っていた足音の男の声が訊いた。
「‥‥大丈夫、生きてるよ」
生きているかと素直に口に出来ない彼の性分を理解して、心配などさせてしまわぬよう生きていることを告げる。
彼はそのプライドから、決して己という芯を曲げようとはしない。優しい言葉をかけることも無ければ、他愛のない会話さえも毛嫌いする程、自分にとって何が必要で不要か、或いはどうやって生きてゆけば良いのか、悟っているようでもあった。
神田は草の上で死んだかのように横たわるの顔の横近くに胡坐を掻いて座り、横目に彼女を見下ろした。
「‥‥死んじまったかと、思った」
哀しそうに、それでいて安堵したように彼は低く小さく呟いた。
が横たわる周囲には破壊されたAKUMAの残骸が無数に積み重なっており、その傍らで身動き一つしない彼女を目にした時、嫌な予感が――死んでしまったのではないか、と動悸が起こった。
粉塵は土に還ったかのように舞い上がりもせず、戦闘していたの呼吸はとても静かで、彼女はもう随分と長い時間こうして横たわり、空を眺めているのだと察した。そっと表情を窺い見ると、彼女は瞼を閉ざして浅い呼吸を繰り返しているだけで、呟いた言葉に返答する様子は見受けられない。
夜風がゆっくりと吹き過ぎる。
地上は互いの表情まで分かるほどに蒼く明るく、風はほんの少し冷ややかながらも頬を微かに掠め、天に向かい伸びる木々の枝を揺らし歌を奏でてゆく。
暫く目を閉じたの蒼白く照らされ濃く影の落ちる顔を斜め上から見下ろしていると、初めて彼女が動き、伸ばしていた腕を曲げて顔の横に置いた。手の平は曖昧に開かれ、片方は胡坐を掻いて座っている神田の脚を掠めた。
とても明るい夜だった。
月が出たのか、夜空を彩っていた星々の光は煌めきを失くし、闇の広がる夜空は銀色に輝く光のベールを纏ったかのよう。星で埋め尽くされた夜景も美しかったが、光無くも、ただ美しかった。
己の脚に微かに触れている小さな手に視線を落とし、腕を伸ばしてそっとその細い指先に触れるとそこがぴくっと動いた。冷たい指だった。曖昧に開かれている手を黙って握ると、弱い力で握り返してきた。
触れ合う指先から鼓動が伝わる。心做しか、少し速い気がする。
冷たかった指先が触れ合うことによって大分温もって来た頃、は静かに目を開け、星の光が霞んでしまった夜空を見つめた。
「どうしてかな」
吐息のように掠れる小さな声が呟かれ、神田は意識を耳に集中させた。
「さっきまで、何も要らないって思ってたのに、神田くんが居てくれるのが、すごく嬉しいの」
いつしか姿を見せた白い月を、は眠たそうな瞳を何度も瞬かせながらぼんやりと見つめていた。
彼女に弱々しく握られていた手が、打って変わって離さないとばかりに握られたので、応えて同じように握り返す。
満月よりか少しばかり欠けた月は、遥か遠く群青を塗り潰したような空にぽつりと浮かんでいた。煌びやかな星々を覆い隠す程の銀のベールを纏い、その白い月は遠く、けれども手を伸ばせば掌中に握り取れそうにも思えるのだった。
月が落ちるような空
2010/04/09.