この人は、自分のものにはならないのだ、と
神田ユウは幼くして悟った
大失恋
初めて出会った彼女は、本当に強くて美しいエクソシストだった。
幼い神田の援護に来てくれたのが、・。
赤茶の長い髪に、緑色の瞳をした人。
あの頃の神田は、やっとティエドール元帥の下を離れ、1人で任務に出始めた頃だった。
10歳くらいだった。
あの頃の彼女は、20代の前半だったと思う。
恥ずかしくて、詳しいことは聞けなかった。
あの頃の神田は幼くて、やっとイノセンスを扱える状態。
そんな彼のサポートをいつも彼女がしてくれた。
姉のような存在。
でも、それはいつしか恋心に変わっていた。
しかし、恋焦がれて約1年。
神田は幼くして失恋を悟った。
誰にも言わなかったし、本人も気づかなかったが、大失恋だった。
は、ずっと誰の誘いも断り続けていた。
理由は知らない。
しかし、その告白の現場に神田は居合わせてしまったのである。
もちろん、偶然だが。
彼女は、「好きな人がいるから」とはっきり言った。
好きな人物がいるから、付き合えないと告白相手に言ったのだ。
神田は、自分自身の失恋も感じ取った。
辛かったし、苦しかった。
けれどもそれは、全て表に出ず、ただボーっとした放心状態しか生まれなかった。
部屋に帰っても眠れなくて。
食事をしても食べた気がしなくて。
いつも、彼女を探していたのに、探せなくなった。
「神田、何でそんなにボーッとしてるの?」
幼いリナリーが、突然神田に声をかける。
長い髪が揺れていた。
「なんでもねぇよ」
「そう。別にいいけど。私はと約束があるんだもん」
神田の目が動いた。
「何?」
「別に」
「変な神田!」
リナリーは神田に背を向けた。
小さな背中が歩き出す。
思い切って、神田は彼女の背中に声をかけた。
「おい!」
「何?私はリナリーだって、前言ったでしょ?」
「お前、知ってるか?」
「何を?」
―――――――が誰を好きなのか。
リナリーは、に髪を結ってもらっていた。
ツインテールはお気に入りだ。
長い髪が、よく目立つ。
「って神田が言ってたんだよ」
「へぇ、あの子が」
「うん!」
は、リナリーの髪を整えて、今度はコーヒーを淹れ始めた。
この部屋には、コーヒーしかない。
リナリーはよく知っていた。
どんな相手にも、彼女はコーヒーしか出さないから。
「ねぇ、って誰が好きなの?」
「うーん、そうねぇ」
「教えてよ!」
「そうねぇ。リナリーがもう少し大人になったら教えてあげようかなぁ」
「え〜」
優しく彼女の頭を撫でる手は、温かかった。
エクソシストとして戦っているけれど、彼女は温かい。
そのことを、リナリーは感じた。
まるで、遠い地にいる兄のように。
「リナリー、泣いちゃ駄目よ?」
「だって………」
「神様は、貴方が嫌いで貴方を選んだんじゃないんだから」
彼女は言う。
リナリーだったら、この運命を乗り越えられるだろうから、と。
神の意志は、リナリーのイノセンスの中にも、のイノセンスの中にも存在するのだ。
確かな力として。
「兄さんに会いたい」
「私も会いたい人がいる」
「誰のこと?」
「ふふ、秘密」
は、決して教えてくれなかった。
それが、彼女の一番大きな秘密だった。
「結局、あれ以来は何も教えてくれないの」
「もういい、黙れ」
「だって、神田も気になるだろうけど、私も気になるのよ!」
17歳になった神田と。
15歳になったリナリー。
そして、同じだけ歳月の経った。
は、今でも実力のあるエクソシストとして、任務についている。
時には、神田やリナリーと任務にも出た。
しかし、もう援護ではない。
同じように肩を並べて戦う同志だった。
「今度の任務、と一緒でしょ?」
「ああ」
「告白しちゃえばいいじゃない!」
そんなことをリナリーに言われて、神田は焦った。
長い髪を揺らして、睨み付ける。
「馬鹿言うな!そ、そんなことッ!!」
「神田って意外に小心者なのね。まぁ、個人のことだから私はこれ以上は言わないけど」
リナリーは、言うだけ言って、去っていった。
その後姿が、とても軽やかだったのは、見間違えではないだろう。
ついに、神田とは任務に出た。
イノセンスを探して、電車に乗り込んだ。
寒い、冬の日のことだった。
「身長が伸びたわね、神田」
「まぁな」
「いい男なんだから、そんな顔してちゃ駄目よ」
前が見れない。
を直視出来ない。
だから、不機嫌そうに視線を逸らすしかない。
ただ単に、彼は恥ずかしいだけなのだ。
電車に揺られて、目的の駅で降りた。
人込みの中、道を間違えそうなほどだった。
「神田、こっちよ」
「、待て!」
彼女は人込みを上手く抜けた。
神田の手を引いて。
気が付けば、街の中だった。
情報のとおりに任務を進め、AKUMAを倒した。
イノセンスはなかった。
大きな収穫はなし。
教団本部に先に連絡を入れた。
は、最初から最後まで、落ち着いていた。
帰り際、彼女は寄りたい場所があると言う。
神田は拒否しなかった。
彼女の願いなど、滅多に聞けない。
だから、聞いてやりたかった。
「昔は、ここには薔薇がたくさん咲いていたの」
「昔……?」
雪が降り始めていて、そこはただの花壇だった。
荒れ果てている。
彼女の言う、昔がいつのことなのか、分からなかった。
「綺麗だったな……。私はまだ、10代の前半で」
風は冷たかった。
2人の肩にも、雪が落ちる。
髪にも、コートにも。
「あの人が、世界の中心だと思っていたの」
少しだけ、広い場所に出た。
そこは、墓地だった。
荒れ果てた墓地。
「私の家は貧しくて、何もなかった。あったのは、家族の愛情だけ」
神田は何も言えなかった。
ただ、彼女の話を聞くだけだった。
1つの墓石の前に立つ。
名前はかすれていて見えない。
しかし、ファミリーネームはと書かれているような気がした。
「最愛の人だった。兄は私の最愛の人」
「兄………」
「双子の兄だったの」
この墓の下に眠る人。
この人が、の愛した人。
今まで、誰の愛も受け入れなかった彼女が、愛した人がいるのだ。
ここに。
「私がエクソシストになったことを、兄はきっと誇りに思ってくれる」
「……」
「そう思って、ずっと戦ってきた。そして、きっとこれからも戦う」
彼女が拳を握る。
その手を、神田はソッと掴んだ。
「俺も一緒に戦う」
「神田………」
「俺はもう弱い子供じゃねぇ。お前を守れるくらいの力はある」
その手は大きくなって、大人に近づいていた。
は気づいていた。
気づいていて、見ないようにしていたのだ。
その目で。
その声で。
自分を求められるのが恐かった。
かつて愛した人を失うような、そんな感覚がしたのだ。
けれども、かつての人のように目の前の少年に惹かれていたのも事実だった。
認めたくない事実。
だから、彼とはエクソシストとしてしか接しなかった。
でも。
少年は、大人に近づいた。
自ら一歩を踏み出し、彼女に近づいた。
手に入らないという思いを捨てて。
自分は愛されないという失恋感を捨てて。
彼は、踏み出した。
「神田、私………」
「俺の大失恋はここで終わりだ」
「え……」
「俺は、死人にだって勝てる」
雪は、降り止んでいた。
2人の愛は、今始まる――――
END
2009.07.13